「ブレードランナー2049」のジョイ(アナ・デ・アルマス)に恋した話

夜が肌寒くなってきた。

散歩でもしたいところだが、ここ数日雨ばかりでなかなか行けていない。洗濯物も乾かない。雨は好きじゃない。

 

久しぶりに映画を観た。一昨年公開の「ブレードランナー2049」だ。

前作「ブレードランナー」を観たのもこの「続編」が公開されたことがきっかけで、ずっと気になってはいたのだが案の定どっぷりハマった。あの世界に、あの街に自分も入って退廃的に生きてみたいと思った。ロイ・バッティ役の俳優さんは今年亡くなられたそうで非常に残念。もっと早く、この名作を知りたかった。

今作もなかなか観るタイミングが無かったが先日、レンタルしてようやく鑑賞出来た。

 続編ということもあり前作ほどの衝撃は無かったものの、雰囲気はとても良かった。巨大な防波堤や廃墟になったアメリカの都市は、ディストピア感満載で美しかった。特に好きだったのはサンディエゴの孤児院。「ニーアオートマタ」の工場廃墟を思い出した。素敵。

 

 なによりもっとも印象に残ったのが、美少女AIのジョイ。

 人工知能であり、立体映像でしか存在できないから触れることもできないが、持ち運びデバイスの中で主人公のKにいつも寄り添い、最期の瞬間までKを想ってくれる。

 劇中、Kは娼婦を呼んで、ジョイの映像を娼婦の動作と同期させて擬似的に事に及ぶのだが、この場面がとても切ない。最初のキスをするシーン、よく見るとジョイがほんの少し娼婦より先にKに唇を寄せているように見える。泣ける。

 ジョイはAIだが、この映画の良心であり誰よりもピュアなヒロインだった。

 

この作品に限らず、SFなどの創作物では人間よりも機械(人工知能)の方がより純粋で、綺麗な心を持った存在として描かれることが多いのかもしれない。

 

こういう話になると、わたしの大好きな漫画家、岡崎二郎さんの名作「アフター0」の中の「マイ・フェア・アンドロイド」という短編を思い出す。

粗暴でガサツだが人間くさい試作品アイリス1と、完璧にすべてをこなす完成品アイリス2。

アイリス1のふりをして主人公を庇い機能停止したアイリス2を抱きながら、人間らしさってなに?と問いかけるアイリス1。

結局「人間らしさ」なんて、その時々で変わる都合のいいものなのかもしれない。

 いつか人間に限りなく近い精巧なアンドロイドがこの世に生まれたら、果たしてかれらは人間になりたがるのだろうか。

って、こんなテーマのSF作品いくらでもありそうだな。

 

何が言いたいのかまとまらなくなってきたので、いい加減風呂に入って寝よう。